和田岬線の終着駅・和田岬を通る神戸市営地下鉄海岸線が開業する2001年7月に 和田岬線も電化開業することになりました。 電化決定以降の和田岬線の様子をご紹介します。
2011年7月1日で電化10周年を迎えた和田岬線で,専属の103系に編成の前後で異なったデザインの記念ヘッドマークが掲出されています。
近年では列車本数が少ない路線で昼間に一部列車を運休させて保守作業が行われていますが, 元々昼間に定期列車が走らない和田岬線でも線路の保守作業が昼間に行われるようで,作業日には昼間に間近でその様子を見ることができます。
写真は2007年1月28日兵庫〜和田岬
2004年7月1日で電化3周年を迎えた和田岬線の103系に記念ヘッドマークが,7月上旬から8月下旬まで装着されました。
写真は2004年7月4日和田岬〜兵庫
9月2日(日)夕方〜9月3日(月)朝,今度は和田岬線で初めて201系が運用されました。 網干総合車両所明石支所C1編成(のクハ201-61×7)からサハ201-69を抜いて6両編成になっています。
写真は2001年9月3日和田岬駅
8月4日(土)夕方〜8月7日(火)朝に和田岬線で初めて207系が運用されました。 8月4日夕方〜8月5日朝は3連,8月5日夕方〜8月7日朝は3連×2の6連でした。 この間,和田岬線用103系は網干総合車両所明石支所内で3両ずつに分割されて留置されているのが見られ,故障であったとの情報もあります。
その後,8月18日(土)夕〜8月19日(日)朝,8月22日(水)朝〜8月23日(木)朝にも和田岬線で207系が3連×2の6連で運用されました。
写真は2001年8月6日和田岬〜兵庫
2001年7月1日に電化開業し,スカイブルー103系電車による運転が始まりました。 初日には,祝 電化開業 ヘッドマークが取り付けられていました。 1番電車(といっても日曜日のため朝は1往復のみの運転です。)出発前には兵庫駅でセレモニーが行われた模様です。
なお,電化と同時にスピードアップも図られて,兵庫〜和田岬の所要時間が1分短縮の約4分となっています。
写真は2001年7月1日兵庫〜和田岬
ヘッドマークは7月14日(土)午前まで掲示されていたとのことです。
朝に兵庫〜和田岬を1往復したあと,気動車時代と同様に鷹取へ回送。ここで前夜まで和田岬線を走っていたキハ35系とのツーショット。
この後,103系は列車線〜大久保〜明石区へ回送されました。
キハ35系は全車が連結されて8両編成となっており,このあと最後の回送で旅立っていくものと思われます。
7月1日から電車化されるため,キハ35での運転日が残り少なくなった2001年6月26日の夕方から「さよならキハ35」のヘッドマークが装着されました。
写真は2001年6月27日兵庫〜和田岬
神ホシ所属となった103系スカイブルー6両編成による試運転が2001年6月23日から行われています。
普段は昼間に列車が走らないこの線区では近道代わりに線路に立ち入っていることも少なくないため,試運転時には踏切などに監視者を配置していました。 速度向上試験も行われて最高85km/hまでの走行試験が行われたようです。
写真は2001年6月23日兵庫〜和田岬
2001年6月2日から架線が張られ始め,電化区間らしくなってきました。
写真は2001年6月6日和田岬〜兵庫
2001年5月28日には早くも架線吊り下げアームが架線柱に取り付けられ始めました。
和田岬駅では機まわし線が撤去されてしまいました。
2001年5月21日〜25日にかけて一挙に架線柱が建てられました。ほとんどの架線柱がH型鋼です。
なお,和田岬駅のホーム嵩上げもできつつあり,キハ35のステップも嵩上げされていました。
写真は2001年5月25日和田岬にて
2001年5月中旬から架線柱設置のための工事および兵庫・和田岬両駅ホーム嵩上げなどの工事が開始されました。 川重で新製された車両の出場時以外は昼間に列車の走らない和田岬線では,白昼堂々と線路地機内に重機が乗り入れて工事が行われています。
写真は2001年5月17日の川重横にて
和田岬駅でも2001年5月中旬から機回し線の撤去(ポイントは存置),ホーム上屋の更新とホーム嵩上げなどの工事が始まっています。 (写真は2001年5月18日に和田岬駅にて)
和田岬線の電化計画がJR西日本の公式サイトなどで2001年3月23日に発表されました。概要は次のとおりです。
神戸市営地下鉄海岸線開業後の和田岬線の処遇が注目されていましたが,電車化することにより積極的に対応することにしたようです。