1982年11月〜1984年10月の動き

 この頃は1050形と1070形は1両単位で使用されており,工場へも各形式最小単位で入場していた。 そのため,車両・編成需給により比較的編成替えは多く,3000系および800系以外の車両は一度編成を組まれても早ければ数週間で,長くても1年はもたず編成組替えられていた。 連解編成は朝と夜とで同じペアを組む運用になっていたため一度ペアを組むと同様の期間ペアは変わらなかった。

塗装変更

3000系同様に裾にもオレンジの帯を追加。

+1110-1205-1109+
1982年11月
+1062+
1983年5月
1982年12月10日の踏切事故からの復旧時
+312-311+
1983年9月
+1004-1003+
1984年2月
+1306-1305*
1984年7月
+863-806-805+
1984年8月

注目の編成

cMe cMc cM T Mc
5両編成に1070形を組込むのはこの改正時が初めて(今では逆に珍しくなくなった)
+1058++1075**1114--1207--1113+
cM T Mc cMe cMc
5両編成では,固定運用(車庫内のみで連結解放)でも通常は増結2両を新開地側に連結するが, 何かの都合で車両のやりくりがうまくいかず,連結器が合わない場合は稀に反対側に連結される場合がある。(1983年6月23日)
+1152--1251--1151++1058++1071*
cM T Mc cMc
珍しかったわけではないが,唯一,冷房車で全3扉の4両編成
+1152--1251--1151++1072*

受難車

cMe cM Mc
1982年12月10日 岡場−田尾寺?の踏切でダンプカーに横から突っ込まれて川に飛び込んだ1062は翌年5月にようやく復帰(裾帯付の塗装になって)
+1062++1304--1303*

1000形パンタ1基撤去そしてまた復活

 1000形は回生ブレーキ装備であったためパンタグラフを2基搭載していたが,回生ブレーキの使用が中止され,一部の車両のパンタグラフが1基撤去された。 1983年に撤去されていたパンタグラフが復活したが,復活後も中間側パンタグラフは下げられたまま運用された。

cM Mc cM Mc
1981年以前〜+1002--1001+1983年12月+1002--1001+
1981年以前〜+1010--1009+198?年??月+1010--1009+
1983年6月〜+1004--1003+1983年12月+1004--1003+

改造・・・電気連結器付密連化

5両連解運用増加に備えて電気連結器付密着連結器化改造が行われた。

cM2 M1c →→→ cM2 M1c
311(1983年11月) +312--311+ →→→ +312--311*

車両新造

cM2 M1c cM2 M1c
1984年8月 再び1350形2連×2の新造だが,真中は電気連結器付密連!・・・
+1360--1359**1358--1357+
↓↓↓
cM2 M1c cM2 M1c cMc
に組成され,連解5連運用で登場! 初の全3扉5両編成!(1984年9月3日運用開始)
+1360--1359* *1358--1357++1076*

0000裾ライン入り +先頭部密着自動連結器
0000非冷房車 *電気連結器付密着連結器
0000冷房車 -密着自動連結器または半永久連結器

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