上下列車線間に1両だけ留置されていた 急行たかやま色キハ28系 は,1月11日には姿を消していました。 これで留置されている車両はいなくなりました。
2000年に入り鷹取工場の閉鎖も間近になりましたが,1月頃から工場前には201系・205系・221系の中間車ばかりが入れ代わり立ち代わり留置されています。 工場内では先頭車のATS−P改造工事が行われているのではないかと思われます。
3月24日(金)夕方,試運転線にサハと下り方モハ1ユニットがリニューアル車の113系7両編成が停まっていました。 7両編成から中間車3両が抜かれて4両になった編成があったことから,これらの中間車が鷹取工場でリニューアル改造されて出場してきたようです。 鷹取工場最後の大仕事になったようです。
3月29日(水)をもって鷹取工場は100年の歴史に終止符を打ちました。 最後の出場車は,夕方に鷹取駅向かいの出発線に停まっていた次の編成と思われます。朝日新聞3月30日朝刊の記事からATS-P取付改造であったようです。
クモハ | モハ | サハ | モハ | サハ | クハ | |||||
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221 | 221 | 221 | 220 | 220 | 221 | |||||
59 | − | 59 | − | 59 | − | 50 | − | 50 | − | 59 |
2000年3月末で鷹取工場が閉鎖されましたが,4月中旬頃から解体作業が本格的に始まりました。
4月19日の時点で,南西端の工場建物の一部が解体されていますし,その他の建物サイドにも足場が組まれています。
写真でショベルカーのいる所にも建物がありましたが,早くも解体されてしまいました。
鷹取工場での操業が終了してまだ2ヶ月も経ってないのですが,工場の解体は急ピッチで進んでいます。 5月下旬には,ほとんどの工場建物が解体されてしまいました。
写真は5月25日撮影
急ピッチで進んでいた鷹取工場の解体は8月上旬には終了し,完全な更地状態になってしまいました。
写真は8月17日撮影