2001年6月ダイヤ改正前日
2001年6月22日
粟生線恵比須〜粟生の各駅では3両編成までしか入線できなかったため,他区間で4両編成そして5両編成が運転されるようになってからも,
ラッシュ時の一部列車は志染で増結・解放により直通運転を行っていたが,
その他の時間帯ではほとんどが志染にて双方に折返し運転を行うことにより,新開地〜志染を4〜5両編成として輸送力を確保してきた。
2000年夏以降,恵比須〜粟生の各駅ホーム延伸と樫山のポイント移設が行われて4両編成の入線を可能とし,
2001年6月23日のダイヤ改正から新開地〜粟生の4両編成による直通運転が行われることになった。
志染での増結・解放,双方向折返しによる乗換えの最後の日となる2001年6月22日(金)の動きを追ってみた。
朝ラッシュ時
朝ラッシュ時は普段どおり,所定ダイヤ・運用による運行のようであった。
昼間
朝ラッシュが終わって鈴蘭台車庫に入庫した後,次のような編成替えがあった。
1076の編成替え
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→→ |
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+1360- | -1359* | *1358- | -1357+ | +1076+ |
→→ |
+1360- | -1359* | *1358- | -1357+ |
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→→ |
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+1154- | -1252- | -1153+ | | |
→→ |
+1154- | -1252- | -1153+ | +1076+ | |
所定では5両固定運用が鈴蘭台車庫で2両を切り離して基本編成3両のみで昼間の三木折り返しにつく運用が,次の編成に振替えられて出庫した。
夕ラッシュ時
所定では朝ラッシュ時と同じ編成が志染にて解放する運用につくが,この日は運用に変更があった。
5連連解運用最終日に使用された編成は上記のとおり。朝ラッシュ時とは異なる編成もあるが,通常どおり志染で2両解放。
解放後の増結車は所定とは異なる順序で1番線と留置線に転線されて一旦パンタがおろされた。
通常はこれで終了,翌朝の増結まで増結車は1番線または留置線で夜を過ごしたのであるが,最終日のこの日は・・・
深夜
翌日のダイヤ改正により5連の連解運用は消滅し,固定運用のみとなる。
そのためこの日は,本来なら全区間3両編成である深夜の粟生方面発鈴蘭台行上り列車に増結用2連が志染にて再度増結され,
増結車2連は鈴蘭台まで送られて志染から姿を消した。代わって志染発の列車に充当される編成が留置線と1番線に夜間留置された。
最後の編成の基本編成は本来4両編成の志染止列車を3両編成に運用変更して志染に到着。増結車を連結後は志染の留置線に入換えられてそのまま夜間留置。
*1124-1212-1123+ の編成は朝ラッシュ時を含めてこの日は3回も志染にて増結された。
5両固定運用
5両固定運用 |
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+1060- | -1071* |
*1110- | -1205- | -1109+ |
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増結3+基本1
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固定運用2編成のうちの2編成目。
夜に再度志染で増結して5連になって鈴蘭台まで行った編成が再び5連固定運用に充当されて志染行となって戻ってきた。
折り返し見津車庫へ回送された。
最終列車(上記5両固定運用)が志染に到着して見津車庫へ向けての回送となって出発後,4両編成2本が回送で粟生方面へ通過していった。
写真はダイヤ改正に備えて,前夜の最終列車後に三木まで回送された5000系4両編成。行先表示の「小野」が新鮮〜6月23日AM1:00頃 三木にて〜
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+3006- | -3105- | -3106- | -3005+ | 小野へ回送された模様 |
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+5002- | -5101- | -5102- | -5001+ | 三木へ回送されて留置 |
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+ | 先頭部密着自動連結器 |
0000 | 非冷房車 |
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* | 電気連結器付密着連結器 |
0000 | 冷房車 |
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- | 密着自動連結器または半永久連結器 |
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