[719] (JR)寝台特急あさかぜ
投稿者:フレしん1号 投稿日:2002/09/04(Wed) 01:05:00 |
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夜分遅くに失礼します。フレしん1号です。
今日の(昨日も?)「寝台特急あさかぜ」は田端のPF1113号機の牽引で上って行きました。 今日の下りが同機だったんで、ひょっとして・・・ と姫路駅のバルブに出かけると、ご同業数名!確信しました(笑) このpf牽引、いつまで続くか知りませんがイイ感じでした。
基本的に66よりPF派なんで・・・ 66の尖った顔が子供の時、凄く怖くて、それが未だトラウマになってるみたいです(笑)。 EH10なんて、見たら泣いていたらしんですが、全く記憶にありません。 真っ黒車体に、黄色2本線・・・ 今見たら、渋くてイイんですが幼心には怖いですよね(笑)。
では、おやすみなさい〜 |
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Re: (JR)寝台特急あさかぜ 投稿者:淡路島の電車小僧 - 2002/09/05(Thu) 00:13:14
こんばんは。淡路島の電車小僧です。
>基本的に66よりPF派なんで・・・ 寝台特急はやっぱり65ですね! ちなみに私たちの世代でいわゆる「ブルトレ」全盛期は、牽引機は「65のP」と言うイメージが未だに抜けきれません。 うっ、年がバレる・・・
ロボット顔の真四角なEH10も、中学3年の頃須磨へ出掛けた時はまだ最後の活躍を続けていた頃で、荷物列車も「58の60」などに出くわした時には狂喜乱舞?したものです・・・
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Re: (JR)寝台特急あさかぜ 投稿者:れいらっく@神戸鉄道資料館 - 2002/09/07(Sat) 00:28:43
私が子供の頃,EF58のブルトレとか荷物列車もEH10の貨物も,当たり前のように走っていました。それがいつの間にか・・・
65ばかりだったブルトレが66牽引になったとき,当時はすごく話題になったと思うのですが,逆に今は65のブルトレが話題に・・・う〜ん,時の流れを感じてしまいます・・・
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Re: (JR)寝台特急あさかぜ 投稿者:こころせいてん - 2002/09/08(Sun) 12:12:33 往年の0系新幹線のように、あまりにも存在が普通すぎて見向きもしなかったPFがこんな珍重される時代になったんですね。ヘッドマークのシールめあてに親に隠れてチューインガムを買っていたことを思い出します(笑)。 昨晩の「北の国から」、富良野駅から出る旭川行のキハ40単行に続き、エンディングで初回の富良野に降り立つ親子のシーンなどで(もちろん国鉄時代の)キハ40やらキハ27、56が登場しました(職場では「あんな言葉つかわんべ」「今時あんなウチに住んでいる奴なんかいない」「大体オホーツク海沿岸に比べたら、富良野なんか大都会」云々と賛否両論を巻き起こしてました)。 とおぜんの存在だったEH10やEF58もとうの昔に姿を消し、そのうち113,115系やキハ47なんかも、いずれそのような部類に入ってしまうのでしょう。この辺みたく「昔『鉄道』っていう乗り物が走っていたんだよ」なんてことにはなって欲しくはありませんが。 鉄道が消えた北海道の辺境の住民にとって、交通機関は自家用車か飛行機。鉄道=JRという会社そのものが既に斜陽の「過去の遺物」、世の中に鉄道という乗り物が未だに存在すること自体が摩訶不思議、という「感覚」があり、戸惑ったことがあります。 職場の同僚の子供さんが、小学校に上がる年になって生まれて初めて北見に出て「線路」と「踏切」を見て、驚いていたという話も...。いかん、こんなことでは(笑)。 |
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Re: 車社会 投稿者:ロールキャベツ - 2002/09/08(Sun) 21:49:20 高千穂鉄道に乗った時、高千穂鉄道に関する小学生の作文集が閲覧できるようになっていましたが、それを見ると小学2年生の遠足の時に初めて電車に乗ったというような記述が多数ありました。「高千穂小学校」と書いてあったので、決して駅から遠い所にあるとは限らないのですが…でも駅の近くに住んでいるからと言って頻繁に利用するとは限らないのは自明の理であり、鉄道ジャーナル10月号の盛岡〜八戸間の項でも、「最近電車に乗ったのは数年前に東京へ行った時だな」という記述がありました。
北海道内でも遠くへ行く場合、例えば釧路〜札幌へ行く場合なんかは鉄道は重宝すると思います。特に真冬の時は吹雪で視界が見づらく風も強いので、車で走行するのは命懸けというようなことを鉄道ジャーナルで読んだことがあります。しかし近距離の場合は真冬でもやはり車ということになるんでしょうか。偏狭の地なら長距離でも… |
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