2001年7月1日の和田岬線電化以来22年にわたって同線専属で運用されてきた103系R1編成が2023年3月18日のダイヤ改正で勇退することとなり,前後で異なる2種類のヘッドマークが2月27日から最終日3月18日まで掲出されました。
私の場合,和田岬線103系R1編成を撮影したのは何らかのヘッドマークをつけているときだけで,普段の姿(ヘッドマークなし)を殆ど撮れていませんでした。
当時はどこに行っても国鉄の特急は国鉄特急色ばっかり・・・の中で,国鉄末期の北海道に登場したキハ183系500番代は,斬新なカラーと最前列の座席で前面展望ができる貫通型のスタイルで,国鉄としては画期的な特急形車両でした。
そんなニューフェイス「北斗」が連絡船から乗り継いでくる旅人を待つ横では・・・
DE10が航送貨車を連絡船に押し込んだり,連絡船から引き出したり・・・
航送貨車の押し込み・引き出しは,桟橋と船体との間に架ける可動橋に入換用DLが載ってその重量がかからないよう,貨車との間に控え車を数両連結していました。
今日は3月13日。ちょうど28年前の1988年3月13日まで,国鉄,末期はJR北海道により青函連絡船が青森~函館を運航され,本州と北海道を結んできました。
1980年代までに学生だった世代は本州から北海道ワイド周遊券を握り締めて鉄路で青森へ,そして函館まで青函連絡船で渡った人も多いのではないでしょうか。
私が青函連絡船に乗船したのは1984年から1988年までの間で6往復12便。 乗り鉄大好きとは言え,長時間,列車に乗り続ける中での4時間弱の船旅は気分転換に持って来い,夜行便では足を伸ばして横になれる貴重なひと時でした。そんなホッとするひと時であるがゆえに船旅を楽しみすぎて,あるいは夜行便で眠りについてしまったりで,連絡船の写真はあまり撮ってなかったのが今となっては悔やまれます。
青函連絡船に就航していた船は,旅客と貨車を運ぶ貨客両用船と貨物専用船がありました。
貨客両用船を使用した便でも,閑散期は旅客扱いをせず貨車航送のみ,多客期に臨時便と案内して旅客扱いをするものもあったような・・・。
しばらくの間,北海道新幹線新函館北斗開業により大きく変わろうとしている津軽海峡を取り巻く鉄道を,振り返ってみたいと思います。
今夜(2015年9月4日),横浜から青森までの団体列車「583系あおもり号」が運転されたようですね。
「あおもり」号といえば,JRになってから583系などで大阪~日本海縦貫線~青森のルートで運転された臨時急行「あおもり」を思い出される方も多いと思いますが,国鉄時代には今ではビックリなルートで運転されていました。
ちょうど今から30年前となる1985年とその翌年1986年の8月,北海道へ向かう私は名古屋から米原を経由し,日本海側を走り続けて青森まで走る臨時急行あおもり号に乗りました。名古屋を夜遅くに出て翌日午後遅くに青森に到着するという実にのんびりした列車。12系客車で8両くらいだったと思いますが,一人で1ボックスを余裕で確保できる乗車率でした。
羽越線の風光明媚な日本海沿いを日中に走ったので飽きることはありません。30分くらいの長時間停車がいくつもあって体をほぐしに駅前通りを散歩したものです。
終着青森到着時の牽引機はED75 777号機。
今もJR東日本で現役ですね。
元々は高校生時代に急行きたぐにに青森まで乗って,じっくり時間をかけて北海道へ行きたいと思っていたのですが,1982年に新潟までに短縮されてしまいました。「あおもり」なら同じくらいの時間をかけて運転されるということで,わざわざ名古屋まで行って乗車したものです。今でもそうですが,随分物好きでした・・・
そんな夜行列車ももう風前の灯火。寂しいです・・・・・
ゴールデンウィークの頃に田植えをされるところが多いようですね。
定期運行が終了した日本海も,すぐ後のゴールデンウィークに臨時で運転されています。
GW前半に臨時日本海が運転された4月下旬。おにぎり山を臨む田圃は田植え直前でした。
敦賀で牽引機交換の時間を利用して追っかけ。
大阪へ向けてラストスパートをかける日本海を迎え撃ちます。
北海道の711系も2015年3月13日限りで引退しました。
711系という近郊型の区分ながら北海道に特化されたため,デッキがあり,車端部以外はボックス型クロスシートという急行型に近い旅客設備で,実際,急行「かむい」にも使用されていました。
後に,一部編成のクハが3扉化されたり,冷房化されたりと改造された車両もありました。
長い間にわたって函館本線,千歳線,室蘭本線を走ってきましたが・・・
2012年10月に千歳線・室蘭本線からは撤退し,電化されて間もない札沼線でも走るようになりました。
この写真を撮影した場所を含む室蘭本線の苫小牧~室蘭ではこの711系が撤退してローカル列車は気動車に統一されて以降,電化設備を使用する列車は785系・789系電車の特急「すずらん」のわずか5往復のみ。そのためだけに電化設備をずっと維持していくのでしょうか?変電所など地上設備の老朽化で大規模更新などが必要になる時期に大きな変化があるのでは?と思うのは私だけでしょうか。
本来の客車11両(ハネ×9+ロネ×1+カニ)となって定期列車としてラストスパートの日本海。
北陸地方にも春が少しずつ近づいてきていました。
まだまだ雪降る北国から長躯やってきた定期「日本海」。
この日が私にとってさよならの日となりました。
津軽地方に続いて北陸地方で雪景色の中を行く日本海を撮影に・・・
きれいに降り積もった雪の明かりを受けて湯尾カーブを駆け抜けます。
この翌日から定期列車最終日までは客車11両(ハネ×9+ロネ×1+カニ)に増結。と言っても本来はそれが所定編成。晩年は殆ど,1~10号車のうち7・8号車欠車の客車9両(ハネ×7+ロネ×1+カニ)での運転,この日はその最終日でした。
少し遡って秋の北陸へ
2011年秋の晴れ予報の日に王子保~南条の「おにぎり山」前へ。
北陸地方で唯一朝の上り列車を順光で撮影できるところなので,ついここに来てしまいます。
おにぎり山が紅葉しているのを期待したのですが,まだちょっと早かったようです。
日本海定期運行最後の冬,1月に乗り通せなかったリベンジと,雪国での日本海の撮影に再度日本海に乗って2月に再び青森を目指します。
しかし,この年の雪の多さは普通ではないようで,当初乗車する予定だった日はウヤ。 そんなこともあろうかと予備で確保していた次の日の日本海に乗って青森へ向かいます。
しかし,この日に乗ってきた日本海も扉故障のため鷹ノ巣でまさかの打ち切り。前回に続いて終着青森まで乗り通すことができませんでした。
鷹ノ巣で寝台列車からロングシートの普通列車に乗り換えてここまでやってきました。
まず,本来「日本海」の後を走る「あけぼの」が大幅に遅れて通過。さらに待つこと2時間。
鷹ノ巣まで乗ってきた「日本海」が青森まで回送されるのを撮影。
ここは2011年春の写真と同じポジションなのですが,こちらの方が微妙に見る角度が高くから見下ろす感じになってるんですが・・・ これは,立ち位置の歩道部分に車道を除雪した雪が高く積み上げられ,ほぼ自分の身長くらいの高さの雪の壁の上から撮影したからなのです。 (2011年春の写真はこちら)
この日は他に583系「わくわくドリーム号」が来る予定だったため沢山の方が撮影に来られていましたが,大雪のため途中打ち切りになりそうとのことで皆さんと撤収しました。
翌日は2011年夏の写真と同じ場所へ・・・ここも同じく自分の身長と同じくらいの高さまで積み上げられたところからの撮影。 (2011年夏の写真はここをクリック)
ヘッドマークが雪で真っ白になっていて,トワイライト機の場合は日本海ヘッドマークよりも目立ってよかったかも・・・
翌朝の日本海は運用の流れからローピン機が確定していたので再びここで撮影する予定でしたが,北陸か羽越方面での大雪の影響で残念ながらウヤ。 ここで雪に埋もれたような中を行くローピン日本海を撮ることはできませんでした。 考えてみれば,青森に来るときに乗っていた日本海が途中打ち切りとなって先回りして撮影できたから良かったものの, そうでなければローピン日本海を雪の中で撮ることができなかった訳で 運が良かったのか悪かったのか・・・
その日も朝から大雪の影響でいろいろありながらも津軽鉄道でストーブ列車の撮影&乗車。
帰りの日本海は無事に運転され,大阪まで定期列車としての乗り納めをすることができました。