津軽今別駅~Before/After~
2013年2月・・・屋根もないホームにささやかな待合室の無人駅・・・
そしてほぼ同じ位置からの2015年6月の様子は・・・
立派な新幹線規格のホームが完成間近のようでした。
この位置から駅の向こうの方(青森方)を見ると・・・
北海道新幹線の工事に伴い,2015年8月10日から津軽今別駅を通る列車は全て通過することになり,この場所に来ることもできなくなっています。新幹線の軌道に立つ貴重な体験でした。
青函トンネル開業時に開設されたJR北海道「津軽今別」駅。
1日わずか2往復の白鳥だけが停まる小さな無人駅。
初めて訪問した2013年2月には北海道新幹線に対応する工事が始まりつつあるという感じでした。
新幹線規格の本線を青函トンネル方からやってくるJR東日本所属485系白鳥22号。
同年6月からは本格的に新幹線の駅としての建設工事が始まったようで,同年10月には既存ホームの外側に設けられた仮線に移設されたそうです。
2015年6月に再訪した時,上の写真を撮影した場所付近から同じ白鳥22号を撮影したのが・・・
すっかり雰囲気が変わっていました。(駅構内旅客用通路から撮影)
今夜(2015年9月4日),横浜から青森までの団体列車「583系あおもり号」が運転されたようですね。
「あおもり」号といえば,JRになってから583系などで大阪~日本海縦貫線~青森のルートで運転された臨時急行「あおもり」を思い出される方も多いと思いますが,国鉄時代には今ではビックリなルートで運転されていました。
ちょうど今から30年前となる1985年とその翌年1986年の8月,北海道へ向かう私は名古屋から米原を経由し,日本海側を走り続けて青森まで走る臨時急行あおもり号に乗りました。名古屋を夜遅くに出て翌日午後遅くに青森に到着するという実にのんびりした列車。12系客車で8両くらいだったと思いますが,一人で1ボックスを余裕で確保できる乗車率でした。
羽越線の風光明媚な日本海沿いを日中に走ったので飽きることはありません。30分くらいの長時間停車がいくつもあって体をほぐしに駅前通りを散歩したものです。
終着青森到着時の牽引機はED75 777号機。
今もJR東日本で現役ですね。
元々は高校生時代に急行きたぐにに青森まで乗って,じっくり時間をかけて北海道へ行きたいと思っていたのですが,1982年に新潟までに短縮されてしまいました。「あおもり」なら同じくらいの時間をかけて運転されるということで,わざわざ名古屋まで行って乗車したものです。今でもそうですが,随分物好きでした・・・
そんな夜行列車ももう風前の灯火。寂しいです・・・・・
屋根上前照灯が2灯で四ツ目が特徴の485系1500番代は国鉄時代に北海道用として耐寒耐雪強化された車両。「いしかり」として函館本線を走りましたが,さらに北海道に特化された781系にバトンタッチして本州に戻りました。
本州でも雪の多い地域で走り,最後まで四ツ目オリジナルの姿で残ったのはJR東日本新潟車両センターT18編成のクハ481-1508,おもに特急「いなほ」・特急「北越」・快速「くびき野」で運用,塗色も最終的に国鉄特急色に蘇りました。
ところで,JR西日本の489系ボンネット編成により運転されていた夜行急行「能登」が臨時化されてからは,JR東日本の国鉄特急色で客室灯減光対応のK1・K2・T18編成が臨時急行「能登」に充当されました。能登に運用する車両は北越8号・3号で新潟車両センターと金沢との間の送り込み・返却が行われたため,臨時「能登」前後の北越8号・3号が国鉄特急色編成確定となります。それを利用して撮影したのが・・・
485系1500番代T18編成の北越3号です。
臨時「能登」運転終了後も「いなほ」・「北越」・「くびき野」などで運転されてきましたが,2015年5月30日の「ありがとう485系国鉄色号!」がラストランとなってしまったようです。
2015年3月13日限りで消滅した特急「北越」。
当初は大阪~新潟の特急に名付けられましたが,この区間の列車は雷鳥に譲り,最終的には金沢~新潟の特急となりました。
その中には,元々は大阪~新潟の北越が雷鳥となり,それが金沢で系統分割され,その内の金沢~新潟側の列車が北越となったものもあるようで・・・
2015年3月14日ダイヤでは,新潟とえちごトキめき鉄道となった糸魚川との間を直通する臨時快速が485系で運転されているようで,リニューアル車3000番代で組成されるR編成が充当されるみたいですね。
国鉄特急色T18編成以外のT編成(上沼垂色)はすでに全廃となっているそうで・・・
この場所も常に撮影する人たちで賑わっていましたが,今はどうなのでしょうか・・・?