カテゴリー別アーカイブ: JR

【津軽海峡鉄景色】~05~津軽今別~2

津軽今別駅~Before/After~

2013年2月・・・屋根もないホームにささやかな待合室の無人駅・・・

2013年2月の津軽今別駅

2013年2月の津軽今別駅

そしてほぼ同じ位置からの2015年6月の様子は・・・

完成間近の奥津軽いまべつ駅

完成間近の奥津軽いまべつ駅(2015年6月)

立派な新幹線規格のホームが完成間近のようでした。

この位置から駅の向こうの方(青森方)を見ると・・・

完成間近の奥津軽いまべつ駅に接近中のスーパー白鳥

完成間近の奥津軽いまべつ駅に接近中のスーパー白鳥(2015年6月)

北海道新幹線の工事に伴い,2015年8月10日から津軽今別駅を通る列車は全て通過することになり,この場所に来ることもできなくなっています。新幹線の軌道に立つ貴重な体験でした。

【津軽海峡鉄景色】~04~津軽今別~1

青函トンネル開業時に開設されたJR北海道「津軽今別」駅。
1日わずか2往復の白鳥だけが停まる小さな無人駅。

初めて訪問した2013年2月には北海道新幹線に対応する工事が始まりつつあるという感じでした。
新幹線規格の本線を青函トンネル方からやってくるJR東日本所属485系白鳥22号。

津軽今別駅に到着する485系白鳥

津軽今別駅に到着する485系白鳥(2013年2月)

同年6月からは本格的に新幹線の駅としての建設工事が始まったようで,同年10月には既存ホームの外側に設けられた仮線に移設されたそうです。

2015年6月に再訪した時,上の写真を撮影した場所付近から同じ白鳥22号を撮影したのが・・・

津軽今別駅に到着する485系白鳥

津軽今別駅に到着する485系白鳥(2015年6月)

すっかり雰囲気が変わっていました。(駅構内旅客用通路から撮影)

【津軽海峡鉄景色】~03~函館行日本海

青函連絡船なき後,初めて青函トンネルを通ったのは函館まで行くようになった日本海で渡道したとき。

青森で牽引機が青函区間専用機ED79に交代します。

ED79「日本海」函館行

ED79「日本海」函館行・・・まだ青函連絡船の設備が残る青森にて

この時,青森駅では連絡船の設備が撤去作業中でしたが,まだ一部が残っていました。

青函トンネルを通って北海道に渡っていた日本海1・4号は,残念ながら2006年3月に運転区間が大阪~青森に短縮されています。

【津軽海峡鉄景色】~02~青函連絡船~2

当時はどこに行っても国鉄の特急は国鉄特急色ばっかり・・・の中で,国鉄末期の北海道に登場したキハ183系500番代は,斬新なカラーと最前列の座席で前面展望ができる貫通型のスタイルで,国鉄としては画期的な特急形車両でした。

キハ183系500番代オリジナル色北斗の横で連絡船に貨車を押し込むDE10

出発を待つキハ183系500番代オリジナル色「北斗」の横で連絡船に貨車を押し込むDE10

そんなニューフェイス「北斗」が連絡船から乗り継いでくる旅人を待つ横では・・・

航送貨車を連絡船に押し込むDE10

DE10が航送貨車を連絡船に押し込む

DE10が航送貨車を連絡船に押し込んだり,連絡船から引き出したり・・・

航送されてきた貨車を迎えに行くDL

航送されてきた貨車を迎えに行くDL

航送貨車の押し込み・引き出しは,桟橋と船体との間に架ける可動橋に入換用DLが載ってその重量がかからないよう,貨車との間に控え車を数両連結していました。

【津軽海峡鉄景色】~01~青函連絡船~1

今日は3月13日。ちょうど28年前の1988年3月13日まで,国鉄,末期はJR北海道により青函連絡船が青森~函館を運航され,本州と北海道を結んできました。
1980年代までに学生だった世代は本州から北海道ワイド周遊券を握り締めて鉄路で青森へ,そして函館まで青函連絡船で渡った人も多いのではないでしょうか。

航行中の摩周丸

津軽海峡を行く摩周丸

私が青函連絡船に乗船したのは1984年から1988年までの間で6往復12便。 乗り鉄大好きとは言え,長時間,列車に乗り続ける中での4時間弱の船旅は気分転換に持って来い,夜行便では足を伸ばして横になれる貴重なひと時でした。そんなホッとするひと時であるがゆえに船旅を楽しみすぎて,あるいは夜行便で眠りについてしまったりで,連絡船の写真はあまり撮ってなかったのが今となっては悔やまれます。

青函連絡船に就航していた船は,旅客と貨車を運ぶ貨客両用船と貨物専用船がありました。

青森桟橋に停泊中の空知丸

青森桟橋に停泊中の貨物専用空知丸

貨客両用船を使用した便でも,閑散期は旅客扱いをせず貨車航送のみ,多客期に臨時便と案内して旅客扱いをするものもあったような・・・。

しばらくの間,北海道新幹線新函館北斗開業により大きく変わろうとしている津軽海峡を取り巻く鉄道を,振り返ってみたいと思います。

【JR】特別なトワイライトエクスプレス「京の冬の旅50回記念号」

今季は暖冬傾向でしたが,ついに冬将軍が暴れだしました。
去年の今頃にこのような天候になると,自分が乗るわけでもないのに札幌へ向かうトワイライトエクスプレスの運行状況が気になってしまったものでした。

そんな心配が基本的にないところを走るこの冬のトワイライトエクスプレスなのですが,今日の様な風の強い日に限って比良おろしを受ける湖西線を走って敦賀まで行くコース。そう,今日は「京の冬の旅50回記念号」として走る日だったのでした。

特別なトワイライトエクスプレス・京の冬の旅50回記念号

特別なトワイライトエクスプレス「京の冬の旅50回記念号」

ヘッドマークは今日のための特別なもの,

特別なトワイライトエクスプレス・京の冬の旅50回記念号ヘッドマーク

特別なトワイライトエクスプレス「京の冬の旅50回記念号」ヘッドマーク

今日は,特別な「特別なトワイライトエクスプレス」でした~

東加古川~土山で架線に飛来物が付着したそうで一部列車が部分運休になったりしたそうですが,結果的に京の冬の旅50回記念号に大きな影響はなく,湖西線の風規制もなかったようで,無事最後まで走り抜いたようですね。

【JR】特別なトワイライトエクスプレス(EF65PFトワイライト色)

5月から運転されている「特別なトワイライトエクスプレス」。おもに東海道・山陽筋ではEF65PFが牽引しています。
11月末発までは原色(特急色)のままでトワイライトを牽いていましたが,EF65 1124号機がトワイライト色に塗り替えられ,12月に入ってからはこのカマがトワイライトの先頭に立ち,統一されたカラーで走っています。

トワイライト色EF65PFが牽引する 特別なトワイライトエクスプレス

トワイライト色EF65PFが牽引する 特別なトワイライトエクスプレス

EF65PF特急色,EF81トワイライト色を見慣れていると,PFのトワイライト色はやはり違和感・・・

これまでは・・・(2015年7月の特別なトワイライトエクスプレス・・・再掲)

EF65PFが牽引する 特別なトワイライトエクスプレス

特別な「トワイライトエクスプレス」(EF65PF牽引)

以前,団臨で山陽筋を走っていた時は,EF81トワイライト機がそのまま牽いていたんですが・・・

スマシオを走るEF81が牽引する 団臨トワイライトエクスプレス

山陽本線を走るEF81が牽引する 団臨トワイライトエクスプレス(2003年10月)

もうパーイチはこちらの方を走れないようですね。

【JR】特別なトワイライトエクスプレス

大阪~札幌で走っていた本来のトワイライトエクスプレスが運行終了したのは半年ほど前の2015年3月。
トワイライト用客車3編成から,展望スイート1両を含むA個室車4両のほかサロンカーと食堂車,乗務員用としてBコンパートメント車,電源車を集めて カニ24+オハネフ25+スシ24+オハ25+スロネ25×3+スロネフ25の8両1編成を組成し,特別なトワイライトエクスプレスとして運転されているのは今更言うまでもないと思いますが・・・

まずはJR神戸線を走るEF65PF牽引の特別なトワイライトエクスプレス。
PF牽引のトワイライトはこれまでも団臨で運転されたことが何度もありますが,今回からは特別な編成・・・

EF65PFが牽引する 特別なトワイライトエクスプレス

特別な「トワイライトエクスプレス」(EF65PF牽引)

この写真,見た感じ線路敷地内から撮ったようにみえなくもありませんが,フェンスで仕切られた線路敷地外で誰でも普通に歩けるところです。(念のため・・・)

続いてDD51重連が牽引する特別なトワイライトエクスプレス山陰コース。
DD51重連牽引のトワイライトと言えば,北海道内で青いDD51によるものは普通の姿でしたが,国鉄色DD51重連となれば,これまでにも運転されたことはありますが私にとっては未撮。とりあえず距離的にもっとも手近な場所で・・・

DD51重連が牽引する特別なトワイライトエクスプレス

特別な「トワイライトエクスプレス」(DD51重連牽引)

といっても超メジャーな場所だけにある意味たいへんでした。
せっかく山陰線の日本海沿いを走るので,その様子を撮りに行きたいところですが,いろいろな意味でたいへんそう・・・とちょっと二の足を・・・

【国鉄】急行あおもり(1985年)

今夜(2015年9月4日),横浜から青森までの団体列車「583系あおもり号」が運転されたようですね。
「あおもり」号といえば,JRになってから583系などで大阪~日本海縦貫線~青森のルートで運転された臨時急行「あおもり」を思い出される方も多いと思いますが,国鉄時代には今ではビックリなルートで運転されていました。

ちょうど今から30年前となる1985年とその翌年1986年の8月,北海道へ向かう私は名古屋から米原を経由し,日本海側を走り続けて青森まで走る臨時急行あおもり号に乗りました。名古屋を夜遅くに出て翌日午後遅くに青森に到着するという実にのんびりした列車。12系客車で8両くらいだったと思いますが,一人で1ボックスを余裕で確保できる乗車率でした。
羽越線の風光明媚な日本海沿いを日中に走ったので飽きることはありません。30分くらいの長時間停車がいくつもあって体をほぐしに駅前通りを散歩したものです。

終着青森到着時の牽引機はED75 777号機。

国鉄時代臨時急行あおもりを牽引してきたED75 777号機

国鉄時代臨時急行あおもりを牽引してきたED75 777号機(1985年)

今もJR東日本で現役ですね。

元々は高校生時代に急行きたぐにに青森まで乗って,じっくり時間をかけて北海道へ行きたいと思っていたのですが,1982年に新潟までに短縮されてしまいました。「あおもり」なら同じくらいの時間をかけて運転されるということで,わざわざ名古屋まで行って乗車したものです。今でもそうですが,随分物好きでした・・・

臨時急行あおもり号青森行12系客車

臨時急行あおもり号青森行12系客車(1985年)

そんな夜行列車ももう風前の灯火。寂しいです・・・・・

【JR北陸地方】北越(485系1500番代T18編成国鉄色)

屋根上前照灯が2灯で四ツ目が特徴の485系1500番代は国鉄時代に北海道用として耐寒耐雪強化された車両。「いしかり」として函館本線を走りましたが,さらに北海道に特化された781系にバトンタッチして本州に戻りました。
本州でも雪の多い地域で走り,最後まで四ツ目オリジナルの姿で残ったのはJR東日本新潟車両センターT18編成のクハ481-1508,おもに特急「いなほ」・特急「北越」・快速「くびき野」で運用,塗色も最終的に国鉄特急色に蘇りました。

ところで,JR西日本の489系ボンネット編成により運転されていた夜行急行「能登」が臨時化されてからは,JR東日本の国鉄特急色で客室灯減光対応のK1・K2・T18編成が臨時急行「能登」に充当されました。能登に運用する車両は北越8号・3号で新潟車両センターと金沢との間の送り込み・返却が行われたため,臨時「能登」前後の北越8号・3号が国鉄特急色編成確定となります。それを利用して撮影したのが・・・

485系国鉄色1500番代T18編成北越

485系T18編成(国鉄色1500番代)北越(2010年5月)

485系1500番代T18編成の北越3号です。

臨時「能登」運転終了後も「いなほ」・「北越」・「くびき野」などで運転されてきましたが,2015年5月30日の「ありがとう485系国鉄色号!」がラストランとなってしまったようです。