ゴールデンウィークの頃に田植えをされるところが多いようですね。
定期運行が終了した日本海も,すぐ後のゴールデンウィークに臨時で運転されています。
GW前半に臨時日本海が運転された4月下旬。おにぎり山を臨む田圃は田植え直前でした。
敦賀で牽引機交換の時間を利用して追っかけ。
大阪へ向けてラストスパートをかける日本海を迎え撃ちます。
阪急京都線の京都名所旧跡ラッピング列車の愛称が「古都」と決まり,それまでラッピングのなかった中間車(2・4・5・7両目)にも「古都」ラッピングが施されるとともにヘッドマークも掲出されて,3月28日から運用されているようです。
予想通り,行楽シーズンには6連で嵐山直通臨時列車で走っています。その中でも,通常は「さがの」ヘッドマークを掲出して,梅田~嵐山の快速特急の他,嵐山~河原町の快速特急,そして昼間はずっと桂~嵐山の普通列車でも走るサービス精神旺盛な運用に充当されています。ということで,先日,休日に行ってまいりました。
今回は,何れも嵐山線内普通列車のものですが,嵐山ということで,通常は中間に入っている嵐山・嵯峨野ラッピングをアップにしたものと,未だ撮れてなかった河原町・嵐山方先頭車の洛東ラッピングをピックアップしました。
京都線で河原町方・嵐山方を先頭にして順光で撮れる所って,なかなかないので,この機会を待っていました。
阪急今津線沿線にある阪神競馬場で重賞(GI)レースのひとつ桜花賞が2015年4月12日に開催されるのをPRするヘッドマークが, 4月3日から4月12日まで,今津線を走る2編成(3152×6R・7003×6R)に掲出されています。
撮影した日の週間天気予報は曇り~雨でしたが,いい方向に外れてくれて,好天の中で満開の桜の横を桜花賞ヘッドマーク付の列車が走る姿を捉えることができました。
桜花賞と言えば,2002年から2007年の毎年3月からレース当日まで,神戸線の7000系8連1編成に桜花賞をPRするラッピングされていました。
深夜ながら阪神本線を自力走行して話題になった元阪急5100系5136Fは,尼崎の阪神車両メンテナンスで能勢電向け改造が行われ,5136×4Rと5138×4Rの4連2本となって再び阪神本線を走り,最終的に能勢電鉄にやってきました。
能勢電鉄では試運転が行われた後,2015年3月15日(日)に事前募集の試乗会が行われ,翌3月16日(月)から営業運転を開始しています。
2編成のうち5136×4Rには 5100Series DEBUT ヘッドマークを掲出。
6002×8Rの「のせでん の新しい仲間」ヘッドマークの時と同様,両先頭車でそれぞれの車両の画像が描かれたものとなっています。
種別・行先表示がLED化されていますが,各ドットとも常時点灯しているのか,シャッター速度が速くても文字が切れずに綺麗に写っているのがありがたいです。
スカートが取り付けられて移籍直前の阪急時代よりも引き締まった感じで,白鉢巻塗装もないのは阪急で6000系登場初期の頃の雰囲気。やはりこちらの方が阪急らしいなぁ・・・
2015年の「さくら」ヘッドマークも昨年に引き続いてデザインが変更され,3月21日から掲出されています。今回は神戸・宝塚・京都の各線区ごとに4編成ずつと,さらに少なくなりました。
この日はまだ桜の花とさくらヘッドマークとを絡めて撮るのは難しそうということもあったので,年末に行ったときに何やら工事が進んでいた御影~岡本Sカーブへ,今回も様子見を兼ねて向かいます。
線路北側ではさらに工事が本格的になりつつある雰囲気,この画像には写っていませんがコンクリートの基礎というか土台ができていました。さて,これからどうなるのやら,次の偵察は7月の祇園祭・天神祭ヘッドマークの時かな。
随分久しぶりに神戸の鉄道の話題です。しかも,この車両も走る路線では,すでに次の新たな話題として黄色くラッピングされた車両が注目されているこの時期に,今さら感がありありなのですが・・・
台湾からの旅行者が山陽電車で忘れ物をした折に,山陽電鉄の社員に親切にしてもらったのをきっかけに,山電と台湾の鉄道で「亀山」という共通の駅名の駅が存在するなどの共通点を持つということで,2014年12月22日に山陽電鉄と台湾鉄路管理局が姉妹鉄道協定を結んだとのこと。それを記念してヘッドマークが2015年2月中旬からヘッドマークが掲出されています。
ヘッドマークが掲出されているのは,山陽5000系・5030系の6連の全編成です。ただし,ロングシート化改造の関係で,大阪方先頭車を含むユニットが一時的に5002Fのユニットと差し替えられている暫定6両編成には掲出されていませんでした。
台湾と言えば,ヨーロッパへ行く際にシンガポール航空やキャセイパシフィック航空で台北経由便に乗ったとき,計2回だけ上陸したことが・・・ただし,同一便の単なる経由地なので,台北空港の待合室から出ることはありませんでしたが・・・キャセイではトライスターに乗るためにわざわざ台北経由便に乗ったのでした。
2015年3月13日限りで消滅した特急「北越」。
当初は大阪~新潟の特急に名付けられましたが,この区間の列車は雷鳥に譲り,最終的には金沢~新潟の特急となりました。
その中には,元々は大阪~新潟の北越が雷鳥となり,それが金沢で系統分割され,その内の金沢~新潟側の列車が北越となったものもあるようで・・・
2015年3月14日ダイヤでは,新潟とえちごトキめき鉄道となった糸魚川との間を直通する臨時快速が485系で運転されているようで,リニューアル車3000番代で組成されるR編成が充当されるみたいですね。
国鉄特急色T18編成以外のT編成(上沼垂色)はすでに全廃となっているそうで・・・
この場所も常に撮影する人たちで賑わっていましたが,今はどうなのでしょうか・・・?
ついにトワイライトエクスプレスのラストランの日です。
まもなく日付が変わるこの時刻,定刻ならまもなくラストランの上下列車が離合する頃ですね。
最後の最後にトワイライトを撮影したのは雪の湯尾カーブ,ED79牽引のトワイライトは昨夏に北海道旅行をした時,そして,最後に北海道でのトワイライト撮影,最後のDD51重連牽引トワイライトを撮影したのは今年1月。
そして,
DD51トワイライト最後の最後の撮影が団臨で,ヘッドマークがなかったのはちょっと残念なような気もしますが,その姿を記録できたのは良かったかな。
Twilight Expressには7回乗りました。下り2回,上り5回。
最後に乗車した昨夏は,1か月前の10時打ちで撃沈。北海道旅行に出発した時点でもトワイライトの切符は取れていませんでした。
そもそも既に廃止が発表されたトワイライトに3人で乗ろうとするなんて無謀やなぁと思いつつも諦めきれず,旅に出てからも駅で窓口を見るたびにキャンセルが出てないか尋ねるものの・・・
しかし,奇跡は起きました,
旅先から乗車予定2日前,大沼公園駅の窓口でマルスを叩いてもらうと,なんと画面に残席3・・・見た瞬間にそれ取って~と叫んでいました。
まさか3人分を一気にゲットできると思っていませんでした。
3人分の席は2か所に分かれていましたが,これも最終的には車掌さんのご尽力で家族が1部屋に集まることができ,感謝感謝でした。大沼公園駅の駅員さん,トワイライトの車掌さん,ありがとうございました。
北国では白銀の世界なる頃,朝,起きたら雪国だった・・・という気分をもう一度味わいたくて,その後も秘かにみどりの窓口通いをしましたが,やはりそう甘くはなく,再び乗ることはできませんでした。
でも,あの冷や冷やドキドキ・ヤッターの,最後の夏に奇跡的に家族で乗れたことは一生忘れないでしょう。
私にとって北海道へのTwilight Expressの運転終了は,遥か北国へ夜行列車に乗ってゆくということの終焉にも等しいことです。本当に残念です。
これまで北海道への旅を,より思い出深いものにしてくれたTwilight Express,そして,この列車の走らせてきてくれた皆様,ありがとうございました。
2015年2月20日から引退記念装飾となった阪急2313×7R。
この日も朝,家を出る時点では走っているかどうか分からず,とりあえず今津線の阪神競馬場阪急杯ヘッドマークを撮影。
そうしているうちに見たまま情報が流れ,1日中普通運用に就いているようであることが判明。無事に捕獲することができました。
2313号車のヘッドマークは,2005年の2301×4R引退時のヘッドマークとよく似ています。
2372号車のヘッドマークはシンプルなデザインで,運行標識板時代の特急標識を模した感じでもあって印象に残ります。
最後は運行標識板時代みたく,非字幕車にこのマークの2枚看板で走る姿を見たかったです・・・