青函トンネルを抜け,津軽海峡を臨む江差線を走って函館に到着した急行「はまなす」はDD51にバトンタッチ。しばしの休息の後,札幌へ向かいます。
ここは先日ご紹介した函館駅での青函連絡船へ航送貨車を出し入れしていた写真とほぼ同じ場所。
27年の時の流れを感じます。
そして,今朝,最後の旅路の終着駅に着いたようです。
28年間、お疲れ様でした・・・
青函トンネルを抜け,津軽海峡を臨む江差線を走って函館に到着した急行「はまなす」はDD51にバトンタッチ。しばしの休息の後,札幌へ向かいます。
ここは先日ご紹介した函館駅での青函連絡船へ航送貨車を出し入れしていた写真とほぼ同じ場所。
27年の時の流れを感じます。
そして,今朝,最後の旅路の終着駅に着いたようです。
28年間、お疲れ様でした・・・
ついに急行「はまなす」の最終列車が青森駅を発ちました。
ED79重連の牽引だったようですね。
2012年2月に「日本海」乗り納め&撮影で津軽地方へ来たとき、雪の夜に青森駅で出発を待つ はまなす もED79重連でした。
一般の乗客を乗せて青函トンネルをくぐる在来線最後の列車,本州から,さようなら・・・
今日2016年3月20日,上り「はまなす」のラストラン。
「はまなす」にはいろいろな「JR最後の」がつく列車・・・JR最後の急行列車,JR最後の定期客車列車・・・。
寝台車が連結されているほか,座席車も簡易リクライニングの一般的な座席車だけでなく,ドリームカー,カーペットカーなど多彩な客車が,普段は客車7両のところ,シーズンによっては最大12両まで増減する客車列車の強みを活かした列車でもありました。
ここには何度も「はまなす」を撮りに来ましたがなかなか天候に恵まれず,8回目のチャレンジでようやく,青空の下を行く,赤い小ぶりな電機ED79が牽く「はまなす」を仕留めることができました。
カシオペアも今日、一般運行札幌発ラストラン。
学生時代に北海道ワイド周遊券で宿代わりにイヤと言うほど乗った札幌発夜行列車の終焉・・・(;_;)
今日2016年3月19日は,一般運行最後の下りカシオペアが上野を出発した日。
カシオペアは、津軽海峡線では赤い小ぶりな電機ED79が牽引していました。
この区間では,元々はまだ夜が明ける前に通過していましたが,最後の1年は北海道新幹線との共用区間における新幹線の試運転のため運転時刻が変更され,夏場は撮影できるようになったものです。
上野~青森は,運行開始の1999年からEF81が牽引していましたが・・・
2010年6月からはEF510-500番代が先頭にたっていました。
北斗星色のゴトーさんがカシオペアを牽くことも多かったようですね。
海峡線津軽今別駅は津軽線津軽二股駅の目の前に設けられました。
国鉄時代なら同一駅として扱われたのだろうと思いますが,海峡線はJR北海道,津軽線はJR東日本にそれぞれ属しているので,別々の駅となっているのでしょう。
北海道新幹線奥津軽いまべつ駅本格着工前に津軽二股から津軽今別を・・・・
そして,完成間近の同じ位置から・・・
もし両線が同じ会社に属していれば,北海道新幹線開業時に並行在来線として津軽線はJRから経営放棄されていたのだろうと思いますが,別会社であったために命拾いをしたと考えると複雑な心境です。
津軽今別駅~Before/After~
2013年2月・・・屋根もないホームにささやかな待合室の無人駅・・・
そしてほぼ同じ位置からの2015年6月の様子は・・・
立派な新幹線規格のホームが完成間近のようでした。
この位置から駅の向こうの方(青森方)を見ると・・・
北海道新幹線の工事に伴い,2015年8月10日から津軽今別駅を通る列車は全て通過することになり,この場所に来ることもできなくなっています。新幹線の軌道に立つ貴重な体験でした。
青函トンネル開業時に開設されたJR北海道「津軽今別」駅。
1日わずか2往復の白鳥だけが停まる小さな無人駅。
初めて訪問した2013年2月には北海道新幹線に対応する工事が始まりつつあるという感じでした。
新幹線規格の本線を青函トンネル方からやってくるJR東日本所属485系白鳥22号。
同年6月からは本格的に新幹線の駅としての建設工事が始まったようで,同年10月には既存ホームの外側に設けられた仮線に移設されたそうです。
2015年6月に再訪した時,上の写真を撮影した場所付近から同じ白鳥22号を撮影したのが・・・
すっかり雰囲気が変わっていました。(駅構内旅客用通路から撮影)
青函連絡船なき後,初めて青函トンネルを通ったのは函館まで行くようになった日本海で渡道したとき。
青森で牽引機が青函区間専用機ED79に交代します。
この時,青森駅では連絡船の設備が撤去作業中でしたが,まだ一部が残っていました。
青函トンネルを通って北海道に渡っていた日本海1・4号は,残念ながら2006年3月に運転区間が大阪~青森に短縮されています。
当時はどこに行っても国鉄の特急は国鉄特急色ばっかり・・・の中で,国鉄末期の北海道に登場したキハ183系500番代は,斬新なカラーと最前列の座席で前面展望ができる貫通型のスタイルで,国鉄としては画期的な特急形車両でした。
そんなニューフェイス「北斗」が連絡船から乗り継いでくる旅人を待つ横では・・・
DE10が航送貨車を連絡船に押し込んだり,連絡船から引き出したり・・・
航送貨車の押し込み・引き出しは,桟橋と船体との間に架ける可動橋に入換用DLが載ってその重量がかからないよう,貨車との間に控え車を数両連結していました。
今日は3月13日。ちょうど28年前の1988年3月13日まで,国鉄,末期はJR北海道により青函連絡船が青森~函館を運航され,本州と北海道を結んできました。
1980年代までに学生だった世代は本州から北海道ワイド周遊券を握り締めて鉄路で青森へ,そして函館まで青函連絡船で渡った人も多いのではないでしょうか。
私が青函連絡船に乗船したのは1984年から1988年までの間で6往復12便。 乗り鉄大好きとは言え,長時間,列車に乗り続ける中での4時間弱の船旅は気分転換に持って来い,夜行便では足を伸ばして横になれる貴重なひと時でした。そんなホッとするひと時であるがゆえに船旅を楽しみすぎて,あるいは夜行便で眠りについてしまったりで,連絡船の写真はあまり撮ってなかったのが今となっては悔やまれます。
青函連絡船に就航していた船は,旅客と貨車を運ぶ貨客両用船と貨物専用船がありました。
貨客両用船を使用した便でも,閑散期は旅客扱いをせず貨車航送のみ,多客期に臨時便と案内して旅客扱いをするものもあったような・・・。
しばらくの間,北海道新幹線新函館北斗開業により大きく変わろうとしている津軽海峡を取り巻く鉄道を,振り返ってみたいと思います。